本震(平成28年4月16日、土曜日、1時25分)
疲れとお酒のおかげでぐっすり眠りについた矢先、その揺れはいきなり私たちを襲ってきました。
28時間前に起きたマグニチュード6.5、 震度7の地震が本震で、あとは余震が続くものだと思っていましたが、今度襲ってきた地震は28時間前の地震をはるかに上回るものでした。
マグニチュード7.3、 震度7の地震だったんです。
ちなみに気象庁の震度階級で最も大きい震度は7で、それ以上の震度はありません。
揺れの大きさ、時間の長さは28時間前の地震よりはるかに大きなものでした。
もし、7より大きい震度階級があれば、震度7強もしくは震度8クラスの地震であるように感じました。
マグニチュード7.3 は1995年(平成7年)に発生した兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)と同規模の大地震になります。
今回の熊本地震は震源の深さが10km程度と浅く、地震の規模に対して揺れが強いことが特徴です。
結局、この地震が本震と位置付けられ、28時間前に起こった地震は前震と呼ばれるようになりました。
本震と余震という言葉は聞いたことがありましたが、前震なんて言葉は初めて聞きました。
この本震が熊本に大きな深手を負わせてしまったんです。
ものすごい揺れでした。
私も家内も寝ていましたが、布団から一歩も動けませんでした。
この本震の直前まで片づけをして、疲れて寝ていましたが、これは我が家に限った話ではありません。
地震後、友人や知人と話をするとほとんどの人が同じ行動をとっていたんです。
28時間前の前震が今回の本震であると思っていたため、余震は続くだろうが取りあえず家の片づけをしていたんです。
そして、私たちと同じように疲れて寝ているところをこの本震に襲われたんです。
このことは多くの不幸と一つだけ不幸中の幸いをもたらしました。
最大の不幸は、28時間前の前震でダメージを受けていた家屋等に決定的なダメージを与えたことでした。
被害の大きかった益城町では、前震では建っていた建物もこの本震で倒壊するケースが相次ぎました。
前震と余震で済んでいれば倒壊しなかった建物も多かったはずです。
この本震は決定的に追い打ちをかけたんです。
別の不幸は、本震の直前まで懸命に片づけたものが全て無駄になり、更に酷い状況になって被災者のモチベーションが極端に下がったことです。
友人が言っていましたが「やる気が全く起こらない」といった状況になってしまったんです。
私もそうでした。
あれだけ家内と頑張って片づけをしたものが、さらに酷い状況になりました。
無力感というか脱力感というか絶望感に苛まれます。
このことは会う人、会う人皆が口を揃えて言います。
一方、不幸中の幸いは本震の発生した時間が深夜1時25分だったことです。
上述のように、多くの熊本県民は疲れ果てて布団の中で寝ていたはずです。
立っていればそれだけでケガにつながるような揺れでした。
また、私の近所の3階建てのスーパーは2階と3階が崩落し、1階の食品売り場が潰れてしまいました。
もし、地震が昼間に起こっていれば、そのスーパーだけでも多数の死傷者が出ていたはずです。
家内も私の母もそのスーパーを頻繁に利用していました。
考えるだけでゾッとします。
これがそのスーパーです
また、阪神・淡路大震災の場合は火災も多く発生しましたが、地震が深夜であったため火災は少なく済みました。
深夜で寝ていた人が多かったことが不幸中の幸いと書きましたが、中には1階で就寝中に2階が崩落して亡くなった方もいらっしゃいますので、こういう書き方をすることが失礼に当たってしまうこともあろうかと思いますが、その点はご容赦ください。
話を本震の状況に戻します。
深夜1時25分に襲ってきたマグニチュード7.3、 震度7の地震は28時間前に起きたマグニチュード6.5、 震度7の地震とは比較にならない程の破壊力でした。
いつもと違う1階和室に寝ていた私たち夫婦は、あまりの揺れの凄さに布団の中で身動き一つ取れませんでした。
念のために常夜灯と足元灯を灯して寝ていましたが、地震直後、即、停電し、外の街灯も消え暗闇に包まれました。
リビングに置いていた携帯電話の緊急地震速報が鳴り響いています。
暗闇の中、食器の割れる音、物が倒れる音が続きます。
ご近所のあちこちからも携帯電話の緊急地震速報が鳴り響き、子供や女性の悲鳴や叫び声が聞こえます。
私は家内に覆いかぶさり揺れが収まるのをひたすら待ちました。
しかし、この本震は揺れている時間がとても長かったんです。
最初に突き上げるような物凄い揺れから始まり、小さな揺れになったかと思えば再び大きな揺れを繰り返し、正確な時間はわかりませんが10分以上揺れが続いたように感じました。
家内も10分以上揺れていたように感じたそうです。
ようやく揺れが収まり、近所の人たちは一斉に外へ出てきました。
隣の実家の弟もとにかく外に避難しようと声をかけてきました。
私は着替えと携帯電話を取りに行く際、割れた食器の破片を踏み、足にケガをしました。
やっとのことで私と家内もパジャマを着替え外に出ました。
2時間前までお酒を飲んでいた私もすっかり酔いが醒め、まるで悪夢を見ているようでした。
そして、その夜は近所の方たちと近くの路上で一夜を過ごしました。
4月の熊本とはいえ、深夜は冷え込みます。
路上に敷物を敷き、毛布を持ち寄り夜が明けるのを待ちました。
私の両親を含め高齢の方も多く、大きな余震の続く路上での一夜はかなり堪えたようです。
私の父は介護が必要であり、路上で過ごすことは無理だったので、私と父は私の車にエンジンをかけ暖房を入れて過ごしました。
暗闇の中、上空には無数のヘリコプターが飛び交い、路上では地鳴りとともに余震が発生し、各自が持つ携帯電話の緊急地震速報が鳴り響く、本当に悪夢のような夜でした。
東の空が白み始めると少しホッとすると同時に、この本震がもたらした甚大な被害が徐々にわかってきました。
私の近所を見渡すだけでも、家屋の屋根瓦は落ち、ブロック塀は倒壊し、壁は剥がれたりヒビが入ったり、酷いところは家が倒壊していました。
前震の時はここまで酷くありませんでした。
夜明けとともに現実を知り、ご近所の皆さんもかなりのショックだったと思います。
しかし、生きていること、ケガのなかったことだけでもよかったと皆さんと励まし合いました。
電気、ガス、水道のライフラインは完全に寸断し、情報はラジオやカーナビのワンセグテレビで入手するしかありませんでした。
私は車内のカーナビでテレビを見ていましたが、市民のシンボルである熊本城の石垣が崩壊していたり、益城町や西原村では多くの家屋が倒壊していたり、最もショッキングだったのは南阿蘇の入り口である阿蘇大橋が崩落していたことでした。
考えられない現実が熊本に起こっていることを悟りました。
これを引き起こしたのがこの本震でした。
余震(平成28年4月16日の本震以降)
本震のあった平成28年4月16日は、本震発生後も震度5以上の余震を8回記録しました。(そのうち震度6以上は3回)
翌日以降は震度5以上の揺れの大きな余震は少しずつ減ってきましたが、震度1以上の地震は4月14日夜から8月11日までに計1,900回を超え、この記事を書いている8月11日現在でも余震が続いています。
今回の熊本地震は余震の数が多いことが特徴です。
よく比較される中越地震は余震の回数が1,000回に達したのは本震の1年後らしいので、今回の熊本地震がいかに余震が多いかわかります。
まだ当分余震は続きそうです。
早く平穏な日常が取り戻せることを切に願うばかりです。
以上が私の体験した熊本地震です。