熊本城の石垣が崩れる
熊本城は日本三大名城の一つで熊本のシンボルともいえる存在です。
4月14日の前震で石垣6カ所が崩れ、16日の地震で被害が拡大しました。
天守閣の屋根瓦は落ち、「武者返し」で有名な石垣も部分的に崩落しています。
また本丸の一つ飯田丸(いいだまる)は南西側の五階櫓(やぐら)の石垣が大きく崩落して床下の一部がむき出しになっています。
長塀(ながべい)、北十八間櫓(きたじゅうはちけんやぐら)、東十八間櫓(ひがしじゅうはちけんやぐら)、五間櫓(ごけんやぐら)、不開門(あかずのもん)など計13の国の重要文化財も倒壊したり瓦が落ちるなどの被害が出ました。
熊本城の再建には巨大な費用と年月が見込まれており、元の姿を取り戻すにはどれだけ時間がかかるのかさえわからない状況です。
阿蘇神社の楼門と拝殿が倒壊
阿蘇神社は阿蘇市にある神社で、全国に約450社ある「阿蘇神社」の総本社です。
火振り神事が有名で、私の母が阿蘇出身であることから私は子供の頃からとても馴染みのある神社なんです。
私に限らず、熊本県民にとても親しまれ、愛されている神社です。
国の重要文化財に指定されている阿蘇神社の2階建ての楼門が倒壊し、拝殿や3カ所の神殿も損壊してしまいました。
先日阿蘇神社に行ってみました。
言葉を失うほどの損壊で、悲しくなってしまいました。
元々の楼門は次の写真です。
これは阿蘇神社のポスターを撮影したものです
この美しい2階建ての楼門が次のように無残な形になってしまいました。
正面から撮った写真です
斜めから撮った写真です
裏手から撮った写真です
楼門の奥にある拝殿も損壊しています
阿蘇大橋崩落
個人的には阿蘇大橋の崩落が最もショッキングでした。
阿蘇大橋は国道57号線から南阿蘇につながる国道325号を結ぶ橋で、1970年12月に完成した橋長は205.96メートル、幅員は8メートル、黒川の谷底からは76メートルの高さにありました。
熊本県民は南阿蘇に向かう場合、よく利用する橋で私も何度も通った橋です。
地元の人間はこの橋を阿蘇大橋とは呼ばずに「赤橋」と呼ぶ人がほとんどです。
というのも、元々この橋の色は赤だったんです。
1971年の開通後、阿蘇大橋からの投身自殺が相次ぎ、この橋はある意味自殺の名所でした。
投身自殺が多いのは赤い橋の色がいけないとの理由からか、橋の色が塗り替えられ、自殺防止用のフェンスなどが設置されましたが、地元の人間はこの橋を「赤橋」と呼び続けています。
いい意味でも悪い意味でも熊本県民は「赤橋」に愛着があるんです。
ニュースで阿蘇大橋が崩落したと伝えていました。
それを見ていた私と弟は最初「阿蘇大橋って何」って言ったくらいです。
映像をよく見るとそれは「赤橋」でした。
「えー、赤橋が落ちた」、私も弟も絶句しました。
赤橋はそれだけ馴染みのある橋で、造りもとても立派でした。
東京の人ならレインボーブリッジやベイブリッジが東京湾に落ちたくらいの衝撃なんです。
熊本県民なら同じような感覚を持った人が多いと思います。
このことが今回の地震の凄まじさを、熊本県民に再認識させたのではないでしょうか。