前震(平成28年4月14日、木曜日、21時26分)
それは何の前触れもなく突然やってきました。
マグニチュード6.5、 震度7の地震に見舞われました。
その時私は家内とソファーでくつろぎながらテレビを見ていました。
最初は小さな揺れでしたので、たまにある小さな地震かなと思いました。
すると突然地鳴りとともに大きく揺れだし家内が悲鳴を上げて私に抱き着いてきました。
東京で暮らしていた時、震度5程度の地震は何度か経験していましたが、今回の揺れはそれと比較にならないくらい凄まじく尋常ではありませんでした。
携帯電話の緊急地震速報が鳴り響く中、私は家内を抱きしめるのが精一杯でした。
私も家内もソファーに座っていたため事無きを得ましたが、立っていたら転倒していたに違いありません。
地震が収まるのを待つ間、私はいつか襲ってくるであろうと言われている「南海トラフ地震」が発生したのだろうと思っていました。
もしそうだとすれば、日本中が大変なことになっているのではと思い、背筋が凍る思いでした。
ダイニングのペンダントライトがぶつかり合い音を立て、食器棚から食器が飛び出し皿の割れる音が続きます。
停電はせずテレビがそのままついていました。
揺れが収まりかけたころ、テレビに緊急地震速報が流れました。
熊本を震源とする地震で震度7、これでこの地震は熊本で発生した地震であることを悟りました。
余震が襲ってくることはわかっていたので、家内とソファーにじっとしたままテレビを見ていました。
各局の番組が地震報道に切り替わり、今回の地震の大きさが理解できたんです。
その後、頻繁に余震が続きました。
食器棚の食器だけでなく、家中の花瓶や鉢植えの観葉植物が床に落ち、家の中は冬季の破片と割れた鉢植えのドロだらけになっていました。
少しでも片付けたいのはやまやまですが、先ずは身を守るのが先決とメチャクチャになった家の中でジッとしていました。
そして、すぐさま家族の安否の確認です。
隣の実家、同じ県内で一人暮らしをしている義父、私の家の近くで暮らす妹家族に電話しますが通じません。固定電話も携帯電話もダメでした。
隣の実家にいる弟も私もi-phoneを使っていましたのでFace Timeで連絡したらすぐつながりました。
家の中はメチャクチャだけど両親も弟も無事とのこと。
ホッとしました。
しばらくして義父とも連絡が取れました。
義父は熊本県の北部に位置する玉名市で暮らしており、揺れは凄かったものの室内のタンスや食器棚が倒れるでもなく、本人、家屋ともに無事とのこと。
こちらも一安心です。
妹にもやっと携帯がつながりました。
次女は家にいて無事でしたが、長女が学校から自転車で帰宅中に転んだようですが大したことはないとのこと。
これで家族全員に連絡が取れ一安心です。
余震が続きましたので、下手に動かず、家内とソファーに座ってテレビを見ていました。
全てのチャンネルがこの地震について報道していました。
私の住む熊本市東区のすぐ隣である益城町に甚大な被害が出ていることが分かりました。
益城町には友人、知人がたくさんいます。
安否が気になりますが、先ずは自分たち家族の身を守ることが優先です。
地震発生から2時間後の23時30分頃、余震は続いていましたが小康状態になったので、隣の実家に行きました。
家の躯体は無事でしたが、家の中は想像以上に酷く、食器類の大半は割れ、押し入れのものが飛び出して散乱していました。
幸い両親、弟の家族にケガはなく、週末に一緒に片付けようと話して、実家を後にしました。
自宅に戻り、深夜0時から家の片づけを始めました。
取りあえず、割れた食器や観葉植物の鉢の破片を拾い、散乱した鉢の土を片付け、掃除機をかけ、拭き掃除をしました。
終わったのは深夜3時です。
私は家で仕事をしていますが、翌日はどうしてもやらなければならない仕事があったので取りあえず、就寝することにしました。
いつもは2階の寝室で寝ていますが、再び大きな揺れがきた時にいつでも逃げ出せるよう、1階の和室で寝ることにしました。
寝ている最中も余震が続き、なかなか眠れませんでした。
翌日は余震の続く中、16時まで仕事をして、それから家の片づけを行いました。
震度7の地震とたび重なる余震があったにも関わらず、電気や水道といったライフラインは無事でした。
そのおかげでパソコンも使うことができ、16時まで仕事をすることができたんです。
仕事を切り上げて早速片付けに入ります。
2階の納戸の中もメチャクチャでしたが、取りあえず生活できるように、今日は1階のリビングを中心に片付けることにし、その他は翌日が土曜日でしたので週末に片付けることにしました。
深夜に割れた食器や観葉植物の鉢の破片を拾い、散乱した鉢の土を片付けていましたが、陶器の細かな破片がまだあちこちに散乱していました。
ケガをしないように、掃除機で陶器の破片を掃除することから始めました。
そして、よく見ると大きな食器棚と冷蔵庫が50センチ以上前に飛び出していました。
これを見ていかに凄まじい地震だったかが分かります。
食器棚から飛び出した食器はほとんどが割れていましたが、食器棚にはまだ多数の食器が残っていました。
食器棚を元の位置に戻すためには、食器を全て食器棚から出さなくてはなりません。
家内と手分けして食器棚から食器や食材を全て取り出し、リビングの床に並べました。
我が家の食器棚はパモウナでオプションを増設しているので幅は2メートル以上あり、食器を抜いて空にしてもかなりの重量があります。
家内と少しずつ移動させ元の位置に戻しました。
これだけでも一苦労です。
冷蔵庫も元の位置に戻し、リビングの床に並べた食器を全て食器棚に戻しました。
そのほか、リビングのサイドボードもかなり位置がずれており、食器棚同様、中味を全て抜いて位置を元に戻し、それから中味を戻しました。
こんなことをしていると、あっという間に時間が経過し気が付けば21時をまわっていました。
前日、深夜まで片づけをして寝ていない上に、今日の作業で心身共に疲れてしまい、翌日が週末であったことから「続きは明日にしよう」と家内と話し、それから遅い夕食になりました。
お酒大好きの私は、気分転換にビールと焼酎を飲んで0時過ぎに就寝しました。
昨日同様2階の寝室ではなく、1階の和室で横になった私は疲れとお酒のおかげですぐに眠ってしまいました。
1時間後、昨日以上の地震に襲われることも知らずに・・・