熊本地震から1年後の近所の様子

私は熊本市の東区に住んでいます。

熊本市東区は熊本地震で最も被害の大きかった益城町の隣にあり、私の住んでいる所は益城町と2キロ程しか離れていません。

ですから、私が住んでいる地域も被害が甚大でした。

古い家はほとんど住めない状況になり、近所の方もこの地域を離れた方が少なくありません。

震災当時、中学3年生だった姪っ子は東野中学校という中学に通っていました。

この東野中学校は私の母校でもありますが、地震で校舎の大半が「危険」と判定され、プレハブの仮校舎で中学3年生を過ごしました。

姪の話ではクラスメイトの数人が転校を余儀なくされたそうです。

そんな、震災1年後の私の住む地域を歩いてみました。

震災直後と比較すれば随分きれいになりましたが、地震の爪痕はまだ色濃く残っていました。

 

屋根の修復はかなり進んだ

震災では多くの建物の屋根瓦が落ち、あちこちの屋根がブルーシートだらけでしたが、屋根の上のブルーシートは随分少なくなりました。

震災後の我が家のバルコニーから撮影した写真です

震災1年後はブルーシートが少なくなりました

震災後半年までは屋根の修復が進みませんでした。

県外の業者も多く来ていましたが、とにかく業者の手が足らず、、震災から半年が過ぎたころからこの近辺も修復が始まり、最近では屋根にブルーシートが載っている家はかなり少なくなりました。

 

家が解体され空地(更地)が増えた

地震により被災し損壊した家屋等は公費による解体が行われ、あちこちで家屋の解体が行われています。

そのせいで、やたら空地(更地)が増えている状況です。

この家屋解体も震災半年を過ぎたころから一気に進んでいる感じで、今もなお解体作業が行われています。

我が家の4軒先のお宅も更地になりました

このお宅もすぐ近所です

こんな感じで、近所のあちこちが空き地(更地)になってしまいました。

 

そのまま放置されている住宅も

上述のように損壊した住宅の解体は現在も進んでいます。

しかし、震災から1年が経過したのに、あの時の傷跡をそのままに放置されている住宅も少なくないんです。

住人の方は親戚の家に身を寄せているか、仮設住宅に移られたのでしょう。

次に紹介する写真もすべて我が家の近所です。

地震から1年経っても、この光景をみると今でも辛くなります。

玄関に赤い「危険」の張り紙がそのままです

上記のお宅の倒れた給湯タンクもそのままです

このお宅は1階が斜めに傾いています

上記のお宅の裏側です 家の中のものが外に飛び出したままです

このように震災から1年が経ってもまだ手の付けられていない住宅もたくさん残っています。

 

インフラの復旧工事も継続中

震災直後は道路も凄いことになっていました。

道路のあちこちが陥没し、橋は道路と数十センチも段差ができるなど、車での往来も出来ないくらい酷い状況でした。

しかし、交通量の多い道路の復旧は早く、震災後1か月もすれば概ね通行できる状態になりました。

しかし、通行できるようになったとはいえ、道路はあちこちで波うち、段差も多く、今でも道路の端には「段差あり」の看板が多く見られます。

優先順位の高い交通量の多い道路の復旧こそ早かったものの、それ以外のインフラは今まさに継続中です。

近所にある調整池も工事中です

水路とその近辺道路も復旧工事中です

このようにインフラの復旧工事は現在も続いています。

 

住宅以外の建物は手付かずのものが多い

上述のように損壊した住宅は解体が進み、空地(更地)が増えてきていますが、住宅以外の建物、例えば納屋のようなものは、ほとんどといって手付かずの状態です。

私の近所は農家のお宅も多く、敷地内に納屋であったり蔵のような建物が建っていることが少なくありません。

そのような建物も軒並み被害にあっており、緊急性が低いせいか未だにそのまま放置されているものが大変多く見受けられます。

近所の農家の敷地内の蔵です

別の農家の納屋です

 

新しい住宅の建築も

震災から1年経っても当時の傷跡が残る建物がある一方、新しい住宅も建ち始めました。

こうやって少しずつ復興が前に進んで行くんでしょうね。

近所の景色も少しずつではありますが、変わりつつあります。

以前は古いアパートが建っていましたが、平屋の新築が出来ました

 

このように、熊本地震から1年経った私の近所はその傷跡も多く残っていますが、確実に前に向かって進んでいます。

震災の傷跡がなくなるには、まだ相当の時間がかかると思います。

故郷熊本が元気を取り戻し、人々に笑顔が戻ってくることを願ってやみません。

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